占星術の基本 ⑫神話・民話との相関性
※こちらの記事も、自身のアメーバブログからの転載(改修)です。
久々の占星術の記事ですが
最後は神話や民話との相関性です。
民俗学の記事ではないので詳細は割愛しますが
「なぜ、星に神話が宿るのか?」
「なぜ、神話が星に出るのか?」
というお話をしたいと思います。
まず、陰陽からお話は始まります。
夜空の暗い部分と星の光ってる部分でも
いいと思いますし、昼と夜でもいいですね。
ひいては、実体と影の関係でもよいと思います。
それらは古代の航海術(ヤップ族など)や
ストーンサークルという日時計(影時計)として
「時間」「方向」「位置」と関わるようになりました。
そして、人間の数が増えてきたりして
他の集落?などと関わるようになり
ず~っと後にできたのが
シャーマニズムやら宗教、科学の土台でした。
なので太陽や月が「大神(命・主)」の元に
なっている地域が多いのだろうと思います。
海と空が陰陽の代わりになっている島などでは
ダイレクトに鳥や星への信仰(神話)になっていますが。
古代~中世では、神話や民俗学や術式(陰陽道など)
現代では、心理学や哲学、理想や価値観などへ…。
名称やカテゴリは違いながら、どれも同じように
数多の言葉や象形を使用して細分化され
伝承されていくものです。
なぜ細分化したのか?
その必要があったのだろうか?
なぜ真言(梵字)が必要になり
なぜ黙示録が必要になったのか?
しきたり(式)や聖典や象徴が必要になったのか?
太占(ふとまに)が
太占のままではいけなかった理由は…?
そう考えてみますと、ちょっと気づきます。
どれもね、「解=神と魔=真と虚」の周囲を
一見、無軌道にぐる~っとふら~っと
まわるような物言いなんですよね。要するに。
坊さんの説法もそうですし、陰陽道のやり方もそうです。
ふらふら~っと、物語の色(要旨や目線)を変えながら
いくつかのポイントを通過していく話し方というか。
占いにしても、大きくわけて2つの話し方があります。
ハッキリ言いきり型と、ふらふら鬼さんコッチ型。
最初のほうが、素人さんであるお客様や
ルーキー占い師には好まれますw
でもね…
左の方は「一瞬だけ少し役立つ」話し方です。
人生を変えるための話し方ではなく
リピートご利用を前提とした話し方なのです。
本人に「考える余地」はほぼないので
ナニカあるたびに「お伺い」を繰り返させます。
私も実験で同時に多数の占いをうけましたが
この話し方が私を良い方向に導いたことは
まったく1度もありません。
その場でも「ふ~ん、そういう結果になったのか」
と思っただけです。9割以上が当たってなかったし。
しかし、私の先輩魔女さんは(私もそうですが)
必ず「右」のような、無軌道でふわ~っと流すような
お話の仕方をなさいます。
もちろん、9割ほど当たってます。
そのふら~っとしたお話をメモしておき
考えれば考えるほど、拾いものが多かったです。
こちらの頭の使い方も変わってきますので
目線から…生き方もおのずと変わります。
(だからメール鑑定をやろうと思いました)
お坊さんの説法や神話、民話などが
このような流れの言葉運びをするのは
真の意味や見方(言霊)を伝えるのに最も有効だからです。
もっとハッキリ言いますと
潜在意識にダイレクトに働きかける話し方です。
そして相手(ご本人)の記憶や感覚、思考から
「解=太占」をひき出す話し方。
だから坊さんは、ああいう話し方をし
陰陽師はふらふら~っとナニカを捲くような
言動ばかりするようになるのだろうと思います。
太陽や月が大神(命・主)であれば
星座や星たちはそれをとりまく
いくつかの民話や神話という、点や線となりますね。
点や線に示されるポイントは
お客様自身が考え、感じとり(記憶や小さな違和感も)
ご自身のチカラで掴むべき線です。
そうでなければ、そのホロスコープの持つ「式」は
けして自力で稼働しません。
ずーっと止まったままの…ただ時間とともに
薄れゆくだけの架空の未来…
つまり、ただの可能性になります。
偶然に出ても、存在価値がグンと下がります。
せっかく「宝」を持っていても、使えないのです。
羽があるのにナゼか飛べない!という
おかしな状態を作り出しておることに
誰も気が付かなくなるというか。
だから、5つのポイントが見えたとしても
全部についてこれ見よがしにベラベラ話すことは
商売にはなっても、ダレカのためにはなりません。
そしてダレカは、自力で「解」に触れることも
まったくできなくなっていきます。
結果が出せないんです、いつまでも。
心が「解」を得ていない状態では
誰だって本気の決断ができませんよね。
「ちょっとやってみようかな」と思う程度で終わります。
当たり前です、他人に言われた通りに
本当に人生を決めるなんて…ありえません。
「解」に至らない人は
決められない方がむしろ自然です。
(聞きたいことだけ聞きたがる我儘は別のお話ですが)
太占(解=決断)を自力で出すことのできぬ
個人はとても弱くなります。
実力や幸福を掴みとる力も12%ほどまで落ちます。
簡単に言うと、かなり鈍くなります。
脳が麻痺している状態になる、というか。
そんなでは、現実も受け止めようがありません。
ナニカあるたびに過剰に凹んで(騒いで)は
グダグダグダグダ…キーキーギャーギャー
…で、実のところは自力でな~んにも解決できない。
他力本願なくせに、口ばっかり達者になります。
そしてその言葉と存在は、どんどん空虚になります。
そんな人からは
体当たりで付き合えば付き合うほど
どんどん人が去りますね…運も金も、またしかり。
占術師は星や神話を通して、ダレカの潜在意識に
ダイレクトに語りかけるのですから
5つ全てをご披露してはイカンのです。
たとえばメール鑑定などでも、返信の期限などきらず
その方が自力で解にちょっとでも近づくのを
辛抱強く待ってから次のやりとりをするべきだと
個人的に思っています。
もしそのままではポイントに目が行かなそうなら…
最小限度のお節介を、ち~とばかり
焼いてみたりするのはアリですが(笑)
まるで、孫に昔話をしながら世話を焼く
おばあさんのようですね
実際、占術師はそういう立ち位置なのだろうと思います。
陰陽を突き詰めて(遡って)いきますと
星に神話が宿る…方角や時間だけではなく
無意識に埋もれた運命や事実や才能
さまざまな象などを示すのは、自然な流れです。
そしてそれが次第に土着の宗教や民話となり
地域のアイデンティティとなっていくことも。
現代の子は、ABCやらスポーツなどは教わっても
民話や神話と縁遠い生活をしていますね。
「無意識への蓄積」が不足しているように思えます。
自由や欲求などという曖昧なものを
アイデティティにせよ、というほうが無理があるのです。
ガチな修行僧にもよーわからぬよーな
「真の自由」なんてものを
なんで3歳や5歳の子供に修得させようとするのか…?
昔話でもしてあげればいいのに…と思います。
潜在意識が満たされていない人って
すごく言動や価値観が空虚なので…すぐわかります。
実際、賢い親御様は昔話や民話を
生活の中で自然に伝えておられます。
すると、お子様は(個性の幅はありますが)
ドンドン自力で決断できる
安定した大人になっていきます。
いま、パワスポとか寺社巡りなんかが
「自由主義・拝金主義」の時代に育ってしまった
オトナたちに流行しているのは
そういう、無意識の充実への自然な欲求
なのではないかと思います。
だからイマドキの子らは、些細なことで授業中に歩き回り
人の世の理不尽さをうまく「流す」ことも身につかず
思いつめては立ち直れなくなる…
そういう子が増えているのだろうと思います。
落ちたとき、転んだとき…
自分の中に「つかまるモノ」がないから
大人が思っているよりも
「ベチーン!」と転んでいるのです。顔面強打。
神話や民話でもいいし、ヒーロー像でもいいのですけど。
何が「桃太郎は鬼と仲良くするべき」じゃ!アホか!
とモーネルは個人的に思います。
優しさよりも激しさが必要な場面で
その人はいったい何に「つかまれば」良いのでしょうか?
浮き輪もなしで泳がされる人の苦しさ…
「なんであの人はああいうふうにできるんだろう?」
と感じる、違和感の先にあるのはソレです。
無意識の充実度が違うんです。
ゆえに、神話や民話は
残虐でも、理不尽でも、輝かしくも、尊くも
愚かしくもあって良いものなのだと思います。
ただのポイント(点や線)ですから
うつくしー正義にまとまっておらずとも良いのです。
たとえそれがどんなに片手落ちなものだったとしても
土着の神話民話やアイデンティティが豊かな
国や地域の子供たちは
多少の事ではヘコタレませんね~。
(悪く言うと頑固にも横暴にもなりますが)
自殺率やイジメの件数、世代の問題などで
そういうことはハッキリと出てきます🍵
ただ、それが「なぜなのか?」がわかる人と
わからない人がいるだけです。
社会制度や経済力、正義感や清潔感や
知能指数(成績)なんかまったく関係ありません。
人が弱ったとき、真に必要なのは
無意識への程よい刺激そのものなのです。
「ただ聞いてくれるだけで良い」なんて嘘です。
本当は
「ただ無意識のポイントをうまく刺激してほしい」
の認識まちがいだと思います。
モーネルはアホスピ系が苦手なので
そういう言葉は使いませんが
「ささやかな星の導き」といえば…まさにそれです。
これを丁寧に辿って(追いかけて)
違和感や歪み、偽りを丁寧に修正し
太占という「真の解」を自力でつかめた方は
それぞれ、数か月~数年ほどで
劇的にお幸せになっております。
自分の「生」に迷いがなくなるから、当然です。
ダレカの評価などに頼らなくても
自分が自分の世界の「主」になるからです。
運命のお相手や上昇気流を自力で手繰り寄せ
素晴らしい結果を出した方もいらっしゃいます。
先輩魔女さんからすれば、たぶん私も
そのうちの端くれかもしれません(笑)
これが、御神籤の裏に和歌がある理由であり
占星術と神話について考える際の大前提であり
陰陽師などがフラフラ~っとしておる理由であり
坊さんの話が退屈な理由で(w)
サビアンシンボルの解説書が難解な理由です。
そのまんま読んではいけないものばかりですよねw
モーネルが少しいじって見る限り、ですが
星座盤の星たちは、ものすごい核心をついて
その方の無意識に語り掛けております。
すごくわかりにくい、無軌道な言語で
でもちゃんと子午線に触れていたり
1~2等星になっていたりします。
プログレスやトランシットなんかほぼ見ません。
そもそも最近の流行みたいな見方ですし
特に有意義ではないので、手間や時間の無駄に
なりやすいんですよね~。
出生図1枚から、重要な時期や
様々な情報が出てきますから。
というか、出生図が真にさしているのはそれです。
ふつーに見るとふつーの切れ端情報ばかりですけど。
だから占星術師という役割があるのでしょうし
未来は「運勢」なんてものは最初からどこにもなく
その方が正しく歩めば、状況は(数年ほどで)
いくらでも好転していくものなのだろうと思います。
だからモーネルは運気とか運勢という言葉は
滅多に使いません。
神話や民話は一切、
そんなことを示しておりませんので。
そこにあるのは流れのポイントだけです。
またそれが最重要な要素です。
分解→再結合で出した真のホロスコープは
そのまんまのホロスコープを
正しく稼働させるための手順書…
というとわかりやすいでしょうか。
まず闇を呼び出し、その陰を払って追えば
おのずと陽へと導かれる…。
ホロスコープの星に導かれるのは
お客様ではなく、実は占星術師のほうなのです。
占い師は、ただそれを伝えるだけでしてw
陰から陽へ。つまりそういうことです。
だから最初から陽のホロスコープとにらめっこしても
真の生きる力なんか、ひとつも出て来やしません。
無意識(陰)から探り、出にくい結果(陽)へと
ホロスコープを稼働させていくのが
「占術師」としての役割だと思っております🍵
だから話の時間軸がおかしくなるんですけどw
まだ陰(夜)の方に、陽(昼)のお話をするので
こればっかりは…しょうがないと思います
お客様は「今」や「ダレカ・ナニカ」を欲しがりますが
本当に欲しいのは「主」や「未来」なはずですよね。
実際、宇宙を科学的に考えましても
闇から光へとすべては向かっておりますので
話し方は変えても、その流れに逆らわない手法を
ブレさせることはありません。
実体となる星を持たない虚空座の中にも…
ほんのわずかな光たちが
時空を超えて、たくさん通過しておりますので
同様の考えです。
人間の作った最近の占星術の教科書?や
キラキラ系の本には、やれ光だ輝きだ
陰や現実(ダレカの欠点とか)を見てはいけない…
って、こうるさく書いてありますが…。
部品のままの車でどうやって走るんでしょうか?
野生(欲求)の力で?
では、欲求がなくなったらどうなるんでしょうか?
影がない世界って、そもそも
実体化していないのでは?とも思います。
距離感も出なければ昼夜もわからず
カタチも見えにくいんじゃ…?と思います。
民話や神話の中で影(陰や魔)は確かに
ナニカとナニカの隙間や
見えない場所(モノ)を指しますが
つまり、縁取り(カタチ)や範囲や時空
ひいては運命の様子なんかを
指しているのだろうと思っています。
都合の悪いナニカを無視(見ぬふり)して
自分の現実から目をそらして…
何が解決できるのかしら??
私は自分がLGBTというカエルだと気付いた時
こう思いましたよ
「あらまぁ、私って、相当に無茶したカエルだったのね!
こんな絶望的な状況まで来て…
じゃあ、あとは死ぬ気で頑張るしかないわね~」って。
現実(真)を直視する時
キラキラ根性?はまったく必要ありませんでした。
ある程度、好循環に入ろうとする時期で
私が弱くなかったせいかも知れませんが
「子を持つのにイロイロ都合が悪いから
不思議と気づかなかったんだろうけれど
本当は寒いから服を着よう」という
至極あたりまえ~のような感じでしたね。
「寒くない!寒く感じないもの!」って
シベリアで頑張ってもしょうがないですからw
そして、たんまり背負いこんでいた
へんな幻想の重荷が一気におりた瞬間でした。
何かが全部しっくりくると「問題」ってすでに
半分は解決みたいなもん(あとはやるだけ)ですから
心に朝日が昇った瞬間、とも言えます。
「ツキモノがとれたみたい」って、言いえて妙ですね~。
妖怪の類が朝日に弱いってのも
このへんの流れからきてるんでしょうね。
鈍感な私を「これでもか!」と
極寒の山頂へと追い立ててくれたリリスにも
私の真の姿と宝を認識させてくれた虚空座にも
おっかない陰の極であるにもかかわらず
自然と感謝したいなぁと思えるようになりました。
すぐに、ではないですけどw
鬼退治の物語などとかさなる
虚空座に映るへんな自分との闘い、現実への目覚め。
貴重なお土産やお嫁さんをもらって帰ってくるあの感じ。
まさに、その通りでした。
振り返ってみると、世界中の「童話・民話」が
私の通り道(無意識)の基礎になってました。
占星術の世界も、そういうことなんでしょうね🍵