「感情」と「心」の違い
こちらの記事も、アメーバブログからの転載(改修)です。
今日の記事も予定通り
「人生の目標」について書こうと思ったのですが…
う~ん…?と、ちょっと考えた結果
順番的にまず「感情と心の違い」について書かなければ
そこにちゃんと届かないと思ったので
こちらを先に書くことにしました。
楽しみにしてくださっていた方は、申し訳ありません💦
でも、ちゃんと有意義な時間になるように
頑張りますので、ご容赦くださいね。
まず記事タイトルで、「え~?なにそれ?」と思った方も
多いのではないかと思います。
いくつか前の発達障害やカサンドラ症候群に関する記事で書いた
「対処」と「人間関係」の違いと同じように
似てはいるけど、実はまったく違うものなので
そこを説明したいと思います。
なぜ説明が必要なのかというと
ご自身の「その時の感情」を自分の「心」だと勘違いして、
人生が上滑りしてしまっている方が多いからです。
人は必ず、いつか死にます。
投げ出されたボウリング玉が、必ず落ちるように。
その時、上滑りのガーターだったら、嫌ですよね。
そんな人生のお手伝いなんか、モーネルはしたくありません。
人生のストライクを狙っていきましょう!(/・ω・)/⌒●✫
モーネル自身もまた、そこに向かっている途中ですので
偉そうに上から目線で書いているわけではない…
ということだけはご理解くださいまし。
みんなで一緒に頑張りましょう!
虚しい人生にしないために。
綺麗ごとやスピリチュアルや勘違いなんかに
短い人生を引っ掻き回されないために。
まず、精神の浅瀬から深海に向かって順に説明していくと
人間には「気分」というものがあります。
かる~い、気分。
お昼はこれが食べたい🎵とか。これ可愛い💕とか。
これらは、翌日には忘れている程度のものです。
およそ、人生の目標には程遠い存在ですね。
この「気分」に振り回されてしまうと
残念ながら、実に浅はかな人生になります。
水が冷たければヒュっと引っ込む、暖かくなったらビヨ~ンと出る
イソギンチャクと同じ人生になっちゃいますので…。
達成とか充実とかの高みには
到底、手が届かなさそうですよね…。
短気な人や記憶力・思考力の乏しい人に
気分中心で生きている人が多いような気がします。
若いうちはしょうがないけど、もったいない…。
もうちょっと潜ると「感情・気持ち」の世界があります。
でもこれも、相手次第だったり、環境や欲求次第であって
特に確実性はありません。
同じ出来事でも、環境が変わると
数年後にはもう違う気持ちで見るようになる、そんな存在。
たとえば、へんな元カレと一緒にいたときは
多少このことは目をつぶれて
「でも、良いところもあったし…」なんて思えていたものが
マトモな今の彼と巡り合って「平均値」が変わったら
「あいつ、マジ許さねぇ!"(-""-)"」
って気持ちになっちゃう…とか、よくあるお話です。
もちろん私にも、いろんなことで
同様の経験がたくさんあります(笑)
ですので、これもまた、人生の指針になるような
まっとうな代物ではないと思えます。
まぁ、それはそれで、刺激的で面白いし
確かに、人生のダイナミズムっぽく感じるのですが…。
ですが、それこそが厄介なんです。
辛い現実から目をそらしたい人や、
常に自分やナニカを守りすぎている人など
「うわべの平和」 を求めてしまっている状態の人が
ほんとうの事実を捻じ曲げる、その原動力になっちゃうから。
昔の人はよく言いましたよね
「情に竿さして流されると、ろくなことにならない」って。
私の経験上ですが、それは本当だと思います((+_+))
育児、恋愛、結婚、職場など
人間関係で悩んでいる最中は、感情に溺れて
誰でもどこか「夢中」みたいになってしまうものですが
後でよく考えてみると「夢中」っていうより
「霧中(五里霧中)」という言葉に近い状態というほうが
はるかに当てはまるのではないでしょうか。
実は、思っている半分も見えてなかった…とか。
感情というのは、野放しの感覚や動機(無意識)によって
無軌道に突き動かされた、精神の野生的大暴れの結果です。
しかも、その「氷山の一角」なので
とても人生の決断に使っても大丈夫なような
信頼度の高い存在ではないということです。
それを、個人として最高(天井)の部分である「心」と
混同してしまうのは、もったいないことだと思います。
では、勇気をもって、さらに深海へ。
意識的に自分の精神のパンドラの箱をあけてみると
今度は無意識や原始的な欲求、ワガママの嵐⚡が
バンバン吹き荒れることと思います。
自他のへんな記憶、嫌なもの、醜いもの…たくさん出てきます。
そして、嵐の終わり近くで
「なぜだか」思い出せない記憶が(いくつか)出てきます。
実は、天使の記事で書いた「キラキラさん」との会話
モーネルは最後の部分だけ
まるで「空白」になっているかのように
「なぜだか」どーしても!何十年も思い出せませんでした。
で、私はよく友人にこう言っていたのです。
「私、一人でいるの好きだからさ、
淋しいとか思ったことないんだよね~w」って(笑)
本当に、すっかりそう思い込んでいたんです(;´Д`)
ところが、精神のサナギの時期に入って
自分の記憶を何度も何度も丁寧に、細かく再生してみたら
「空白」の部分がいくつかあったことに気づいて。
すごく引っかかって、ことあるごとに思い出してみました。
ずいぶん時間をかけて、やっと思い出せた記憶は
自分が「わたし、さびしいの。」って言ってる姿とかでした。
そこで、大人になった私は、口にしてみました。
「わたし…さ…みし……の」
言ってる最中に涙がボロボロ出てきました。
やっと生き別れの、本当の自分にあえて。
何儒年もずっと淋しいままにしてしまった、申し訳なさで。
やっと命の妹を探し出したような気持ちで…。
心の中で命の妹?を抱きしめながら、泣きました。
今まで経験したことのない、安堵感に包まれながら…。
その時、私のサナギの背中がちょっと割れた気がします。
そこからしばらく、人生の目標を探して
中でモゾモゾしながら
サナギの割れ目から外を見ているような状態になりました。
ここまで自分を知る(パンドラの嵐が過ぎる)と
最後に、2つ、自然に見えてくるものが出てきます。
それが①自分がいる現実の状況と、②本音中の本音です。
私はモリアオガエルのくせに
ラクダのように砂漠を横断しようとしたあげく
砂漠の真ん中で限界がきて絶望していたんですよね。
なのに、けしてそれを認めようとせず、
もといた場所も、本当の自分自身の姿も
「なぜだか」すべて忘れてたんだ!って気が付きました。
やっとやっと自分の「心」と再会してからは
「森に帰ろう。ここは私の生きられる場所じゃない」って
自然に納得できて、覚悟も決まりました。
たとえ岩山に遮られていようとも、トンネル掘ってでも
帰るために全力であがいてみよう!って自然に思えて
自然に勇気がどんどん湧いてきたんです。
梅干し見てるだけで、唾液が出てくるみたいに(笑)
「自分自身の本当の姿」に沿った強い意志(信念・勇気)や
価値観こそ、本当の「心」です。
迷った時の人生の北極星(ポーラースター)として良い存在です。
…というか、心を見失っているから
迷子になるんですけど((+_+))
長く我慢しすぎちゃうと、見失っちゃうんだよね~💦
結果は、やってみなくちゃわかりませんが
今まで関わった人たち(鑑定した人たち)は皆
「あなたは蛙ですよ」とか「鳥ですよ」みたいな
回答・解説をしていくだけで、自力で生き返れましたので
たぶんこの考え方に、大きな間違いはないと思います。
私自身の経験としても、本当に納得できて
生きていくことがラクになったし (^ω^)y-.。o○
だから、私が夫婦問題から卒業した時の記事(アメブロ)は
こういう内容だったんですよね
https://ameblo.jp/cbksk944/entry-11890339926.html
(長文なので、お暇な方だけ流し読みしてください💦)
しかも、今はそこからさらに一歩進んでいます。
わたし、だいぶ前に決意しましたので。
森に帰るために頑張ることにしました! ⌒✫⌒✫⌒🐸
というのも、精神的には今の状態は「大丈夫」なんですが
とうとう生理的な限界 がきてしまったので。
↑この(アメブロ)夫婦記事を書いた時には
「私は鳥なのに、地上で暮らしていたんだろうな」
くらいに思っていたのですが、いやいや、
時間が経ったら(自覚したから)さらに
本当の心がハッキリ見えるようになっちゃいまして。
私、鳥じゃなくて、モリアオガエルじゃん!って。
湖のある森じゃないと、生きていけないじゃん!って(笑)
モリアオガエルには、到底
砂漠で生き続けることはできないですよね~w
で、全力であがくことにしたわけです。
自分の生まれついた天命を、ちゃんと「生きたい」から。
「湖のある森🐸」に帰りたいから。
私の出生図ホロスコープで見ても、月がサビアン水瓶座15なので
(前後の水瓶座14や16も含まれます)
水瓶座14の「トンネルに入る列車」に乗れそうですし🐸
乗るのか掘るのかはわかりませんが
とりあえず電車がくるまでは掘ろうと思っています。
で、全力で帰ろうとして必死に頑張ってみて
どーしてもだめだったら、その時きっと
それなりの答え(諦めでも)に辿りつけると思うんです。
潔く、「負けた!」って白旗あげることができるというか。
格好悪くても、それが本当だと思います。
孤独や不安なんていう闇が
精神をぶわ~!!!って覆いつくす時って
必ず、「心」にマッチする方向とは
ぜ~んぜん関係ない場所に立ち尽くしている時
なんじゃないかなぁと、自他の経験上、そう思います。
いつかみんなが心の故郷で暮らせる日が来たら
人間社会も素敵になるんだろうなぁ…
適材適所って、実に良い言葉だなぁと思います。
現実と本音を直視する(パンドラの箱を開ける)勇気のない人に
幸福を求める資格はありません!
って、有名な人生相談の先生もおっしゃっていますが
本当にそうだなぁと…。(キビシーですが💦)
ラジオの人生相談なのですが(え~?と思う回答も多いです)
相談者の方々はだいたい、いつもその手前の
「気持ち」とか「感情」の部分でつっかえていて
それを「人間関係⇔現実の悩み」だと思い込んでいる…
そんな方々がほとんどです。
ですので、「人生の目標」や方向性は
感情や気持ちではなく
「心」というものから導き出していかなくては
上滑りしてガーターになっちゃうんじゃないかと
モーネルは思っています、というお話でした。
「心」って、気持ちや感情じゃなくて
「命」そのものなんですね~。
長くなりましたが、何か伝わりましたでしょうか?
次回は「人生の目標」について書いてみたいと思います(*^_^*)