大小タロット解釈・まとめ
ここまで大アルカナ1枚1枚の意味を
ところどころ出しきれない部分もありましたが
それなりに、現状わかっている範囲で
書かせていただきました(*´ω`*)
初心者の方や、カードに興味がおありのお客様に
より正確に、占い結果の意味を知っていただくためです。
そもそもタロットカードってなんでしょう?
モーネル自身にもいまいちわからないですが
いわゆる「確率論?なにそれおいしいの?」みたいに
何度でも同じ位置に出てくるカードって
本当に不思議だね~なんて思いながら
自己流の3カード(後に9枚へ展開)で読み込んでいます。
失せ物探しなんかだと、小アルカナ78枚を使った
ケルト十字法が役立ちます(*^_^*)
っていっても、シャッフル中にもう見えちゃうこともあるので
そっちは確認や補足でデッキを見る感じです。
これ出来るようになると、普段の生活でも便利ですよ(*´ω`*)
①シャッフル中に一瞬見える画像
②何度でも同じ場所に出続けるカード
タロットを不思議なモノだと思う理由はこの2つです。
モーネルはタロットの起源を
ヨーロッパでもエジプトでもなく
シュメール文化やメソポタミア文化の神話だと思っています。
(ちなみに占星術もメソポタミア文明の発祥ですね)
それを基にして、今のような形のようになったのは
国や時代で言えばヒッタイトとエジプトが休戦した際に
文化交流の一つとして「ヒッタイト周辺の文化」を
エジプトの人々に上手に伝わる形(絵)で
文化交流のお土産にしたものなんじゃないかなぁと…。
そうじゃないと、バベルの塔みたいな図があったり
「㉑世界」が女神イシュタル像にそっくりな絵になっている
理由もわかりません。
馬2頭を使った戦車での戦いを得意としていたのも
ヒッタイトだったりしますしね(^。^)y-.。o○
もしキリスト教の時代やローマ時代の西洋文化が発祥であれば
「世界」は男性神として描かれなければなりません。
エジプト発祥だったとしても同じことです。
「文化交流の品=商人・魔術師」から
「女神イシュタル=マギの王冠・世界」へと
実に奥深い、人生や精神の旅を楽しんでもらおうという
心遣いあるお土産だなぁと思うとほっこりしますね(*´ω`*)
モーネルは補足のカード(オラクル系カード)は
一切、併用しません。
なぜなら…「女神イシュタル」は実に豊かな女神でありながら
信者でない者や思い通りではない者に対しては
実に残虐な性質を持っていたからです(-_-;)
いくら、長い歴史の間に
余計なカードをねじ込まれていたとしても
構図やタイトルが歪められてしまったとしても
やっぱり「イシュタルの宿る世界」ですから
それ以上の混ぜ物をすることは、失礼に当たるので…。
怖いことになったら困るし(-_-;)
いえ、モーネルはオカルト優先で考えてはいないのですが
軽く歴女なものですから
「イシュタルの世界」に手を加えたであろう国や王族たちが
悲惨な最後を遂げたことを知っているんですよね。
まだ生き残っているキリスト関係でも
信者が悪魔つきごっこに走ったり、神父が自殺したり
教会の空洞化、法皇様の暗殺計画
各種のスキャンダル…いろいろありますよね…。
そもそもシュメールやメソポタミア文明の
恩恵に預かって育った若手の神が、原初の神の世界を
乱すなんてことも、道理として…どうなの?って。
神託でもあるデッキの意味を深く考えもせず
ちょっと面白そうな方法で集客しようという考えで
どう見てもタロットの玩具みたいな
最近ごしらえの異文化を混ぜるとか…
しかも波動とかオーラとか色の力とか言い出されるとね…
「何がはみでてるの?w」ってなっちゃいます。
モーネルは、パンツがはみ出てなければ
別に何色でもいいです。
波動とか、好きなだけどっかで振動してくれてていいし。
その手のオカルティストのお話には
まーったく興味がありません!(-_-メ)
信じたくて信じてる人には、実に申し訳ないのですが。
「⑳審判」って本当は
イシュタルの復活を描いてるカードだと思うし…。
ただ、神話をメインに解釈しないポリシーなので
そういうお話は割愛させていただいた次第です。
だって「神様」を占うわけじゃないから
当てはまらない部分が多くなると思うので(笑)
(これは占星術でも同じ考えです)
ちなみに小アルカナは、その後の時代に付けられたものかと。
複雑な問題や具体的なヒントがたくさんほしい時などに
補足的な役割で見る以外には利用していません。
ちなみに、小アルカナに「火・風・土・水」のエレメントを
付加して解釈するやり方は
少しオカルトに傾倒しすぎているような気がして
取り入れておりません(-_-;)
むしろ「勇気・知恵・誠実・愛情」という方向性で見た方が
意味がはっきり読み取りやすいと思います。
「①魔術師」で珍しい品(タロット)を見たところから
「㉑世界」でイシュタルの神託と加護を得るところまでが
ここまで1つずつ綴った内容なのですが。
宣託を受けた人は「⓪愚者=旅人」のような悟りを得ます。
「知れば知るほど、必要なものはなくなる」…と。
占いもまた、その「必要なくなる」ものの1つだと思っています。
占いなどというものは、いつまでも
人をリードするものであってはならないと思います。
いつまでも占いに依存していれば
非常に短気なイシュタルの不興をかい
まともな宣託が受けられなくなると思います。
(何を占ってもデッキに「㉑世界」が出なくなるとか)
占いに限らず、人間関係も宗教も同じことですが
「依存」というものの正体が「利用」だからです。
これほど失礼なことはないと思いますよ…。
依存は自他を蝕む、体に悪いお菓子のようなものです。
食べてるときは甘いけど…行きは良い良い、帰りは怖い。
…あ。
モーネルはお正月などに神道を普通にたしなむ
一般的な日本の生活をしている人であって
宗教はあくまでサブカル知識や思想哲学みたいな感じで
どこの宗教団体にも入団しておりませんので
ご安心ください(笑)
寺社巡りは好きですが「パワーがもらえる♡」とかいう
根拠のないオカルト趣味も依存心も、別にありません。
自分が生きるのに必要なパワーなんて
自分で出すものだと思います。
寺社に詣でたとき、どの宗教宗派に限らず
神様にはお願い事ではなく「お礼」を言うものですし。
日本はご利益信仰が多いですよね~。
そのへんも、占い依存への心の隙になっているような…。
どうしても自前でパワーが出ない時は
本気で休むか、全力であがくかしてください。
いつまでもお年玉をほしがる子供メンタルじゃダメ~(-_-メ)
さんざん人に振り回されたり自爆して
「もう馬鹿やってる場合じゃないな」と思ったら
人は「変わり時」です。
「新たなる旅立ちの時」と言っても良いと思います。
さんざんバカやってきた「⓪愚者」のカードは
タロットに関わる人すべてに
こう告げているのではないでしょうか。
人が勇気や目標を持って、困難や災難に立ち向かい
時には諦め、許し、認め、自己を変化させながら旅を続けた先に
神の加護や祝福ともいえる何かが待っていると信じて、
自分を変えるナニカへの扉を
いまから精一杯、自分の足で探しにいくんだよ‼(*´▽`*)
占いは確かに面白いけれど、その核心に触れたなら
頼ったり依存したりすることの無意味さを
私たちに伝えてもいると思います。
当たるも八卦の占いが、人をリードするのではなく
人が占いを超えていくのです。
そして、それこそがタロット占いの
本当のすばらしさなのだと思います。
どうぞ、占いなんかおおいに外してください。
もちろん、期待以上の頑張りや勇気で、良い方向に!
大事なのは、的中率より幸福率や自立率ですものね~(*^_^*)
迷うことなく走るダチョウのように
思いっきり、自主的に生きてこそ
誰かの人生や運命は輝くのではないでしょうか?
もちろんダチョウと人間は違うので
学び、悩み、傷つき、ときに忍耐しながら、ですが。
それが生きる強さになるんだと思います。