大アルカナの意味 ⑨隠者
「⑨隠者」のカードって、一番なんにもない図柄ですね。
タロットの中で一番、仏教的なカードだと感じます。
「⑨隠者」のカードの図柄の中の夜空には、月も星もない。
あるのは手持ちのランプだけ。
背景も、単なる荒野だったり、洞窟の土壁だったり…
屋外なのに、テントもない。
これは「賢者」や「学者」みたいな
デスクワーク系の知性を表現していないんですよね。
元「⑧闘士(力)」の、ワイルドなナマの世界と正反対です。
生々しい世界の実体験を綴った日記(記憶)を懐に隠したまま
あえてそのナマの世界から孤立(隠居)して
完全なアウトサイダーとして、今度は外側から
現実社会やその中の人々、ひいては過去の自分を
まったく真逆の2方向から見つめようとする
「精神的探究の試み」の中の人のようです。
「真実を見抜くための明かり」以外をすべて捨て去った隠者は
誰の影響も受けずに、じっくりと真実を見ようとします。
過去と現在の対比や、内側外側からの対比を
さらにクロスオーバーさせてすべてを理解するには
「誰かのせいにすること」や「さらなる野心」などは
思考の邪魔以外の何物でもありません。
なので、「⑨隠者」のランプの光は
人を待っている灯台だとか、周囲を照らすためのものではなく
むしろ星にも月にも頼らずに
自分のまっすぐな勇気だけでものごとを見るための
「自分のフェアな感覚のフィルター」のようなものだと
モーネルは思っています。
そうして獲得された精神的な指針や気づきを
また本に書くのですが、それは「私個人の生き方」のためであって
誰かのためではないので、公開する意味は何もないと
隠者は知っているのだと思います。
「⑧闘士(力)」のカードは、周囲のニーズや価値観が
バーンと表に立っているカードでした。
「誰かの願望を叶え、勝者の投影をされるだけの日々」
そんなただ消耗するだけの生き方が
いつまでも続くわけがないんですよね~。
ほしいものを手に入れた後の、独特の空虚感っていうか。
奇妙な手ごたえのなさや虚しさ、疲労の中から脱出(引退)して
本当は何がしたくてどうありたいのか
本当は何が怖くて嫌いなのか
最終的には、「自分とは何者なのか?」という問いに
やっと答えが見つかる段階に来たようです。
自分探しをしている人に出やすいカードですね。
逆に、よろしくないデッキで出れば
「自分を完全に見失っている人」「意味のない他人との干渉」
なんて意味も出てきそうです。
鳥には鳥の生き方と価値観があり
魚には魚の生き方と価値観があります。
人間もまたしかり、外見上は似ていても
性分は本当に人それぞれです。
骨格や文化や肌の色が似ているから、というだけで
同じ生き方ができるわけではないんですよね~。
自分は魚か、鳥か。
鳥にしても、白鳥かペンギンかカナリアか。
白鳥にしても、みにくいアヒルの子状態か、ボス白鳥か…。
自分の天分をしっかり見極められた人間にこそ、本物の
「自分の人生のチャンスを見つけ、つかみ取り、守る力」が
備わるのではないでしょうか。
モーネルはよく(自他ともに)言うのですが
「変人には変人の生き方、嫌われ者には嫌われ者の生き方がある」
と思うのです。
「天才には天才の生き方、凡人には凡人の…」
と言ったほうがわかりやすいのですが、意味がちょっと
単純化されちゃいますので、あえてこの言い方で…。
(モーネルも変人の1人ですよ!w)
「レベル1の人気者より、レベル99の嫌われ者」のほうが
ずーっと有意義に社会貢献(活躍)できる、という意味に
受け取っていただいてOKです。
人間の多様性と、社会の仕組みや情勢…その中で
自分は何ができて、できないのか?
いや「できなくても無理してでもやるべき」なのか?
幼稚な正義感で軽率に行動する人と
最高練度のずる賢さで周到に行動する人
どちらがリーダーにふさわしいかは一目瞭然です。
レベル1の善人は、残念ながら「おとり」が精いっぱい
ではないでしょうか…。
そういう感じでご理解いただければ幸いです。
「人と鋏は使いよう」ですね~。
ご自身の人生を中途半端に悩む人や
停滞や繰り返しという壁を突破できない人は
たぶんこの段階でつまずいている人だと思います。
自分が自分をちゃんと使えて(見えて)いないのです。
目先の状況に一喜一憂することに夢中になってしまってる
そんな人にも忠告として出やすいカードだと思います。
実際モーネルも夫婦喧嘩のとき、夫から
「なぜ君はいつも俺の言い分を聞いてくれないの?」と
ムスーっとしながら言われたことがあるのですが
「あなた自身が “これだ!” という確信も持てないまま
あれこれ理屈言ってるだけだから説得力がないのよw」
と普通に返事したら、夫が「たしかに…」と
考え込んだことがありました(笑)
対人関係がいつもネックになっている人こそ
ぜひ、このカードの内容をじっくり理解してみては
いかがかなぁと思う次第です。
実際に人のお話を聞いていると
自己評価が完全に間違ってる人や
自分の意見に特に意味(確信)がないような人って
けっこう多いのですよね~。
(だからうまくいかない「だけ」なんですが…)
最初から人に理解されようと思えば
性分というか天分というか、自分の半分以上を殺して
意味も本物の充実感・満足感・安息感もなく
人生を「ストレスと解消」の繰り返しで費やすしかありません。
その代価にうわべの小さな成功を手に入れたとしても
それって本当に「成功」で「幸福」なのでしょうか?
消耗しながら悪夢の森をさまよっているのと何が違うのか
モーネルには、幻想みたいな幸福の良さがわかりません…。
最初から周囲に理解されなくても、すぐにはわかってもらえなくても
自分の道を進む決意を持った時
行き詰っていた「闘士~隠者」の状況の人たちは
精神的に次の世界へ突破することができます。
仏教で言うところの「開眼」みたいなものでしょうか。
さぁ、すべてが見えたら今度はチャンスをつかむための
行動に出る時です。
新たな1歩は勇気がいるけれど、がんばって!
という流れで、次は
「⑩運命の輪」の世界に飛び込んでいきますよー!