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希望について


※こちらの記事は、自身のアメーバブログからの転載(改修)です。

読書の秋ということで、図書館とお茶に

馴染んでいるモーネルです

自分らしい時間っていいですね~🍵

最近は言葉などについて考えることも多く

久々に幸福と人生カテの記事を書こうかなぁと。

見えすいた嘘だらけのようにも感じる世の中ですが

周囲から見たら、自分だって同じなんですよね~

どんなに自分ではちゃんとやってるつもりでも

周囲から見たらかなりサムイ。

「私」を嫌いな人は多い。「私」は誤解もされる。

そんなことが当たり前なんだろうな~と。

では、希望ってなにかな~?と思うわけです。

まずは希望がなくっちゃ、元気なんかでないもんね。

嫌なことから逃げてばかりいたって

明日の自分は輝かないし。

自分への嘘や妄想で埋めるには、人生は長すぎる。

どう考えたっていつか破綻します。

自他ともに人は成長するから

誤魔化しの破綻は、最初から時間の問題。

なるべくまっすぐ生きて行かなきゃ、明日が苦しくなる。

どこまで逃げても、お釣りは跳ね返ってくる。

だってみんな、他の人の事はよく見えるから(笑)

自分だけはズルくうまく…なんて最初から無理な話で。

身の丈に合った幸福のカタチ、というと

つまらないものを想像してしまうかも知れません。

脂っこい人は特にそうでしょうね。

でも、私はこれまでに、たったの一度だって

脂っこい性質の人が人並みに幸福になったところを

見たことはありません。

…ある格言?哲学?の引用です。

私は自分の考えを、友達の一人のそれと比べてみた。

彼は宇宙が彼にすべてを与えてくれることを期待し、

与えられたものが素晴らしいものでないとガッカリした。

しかし私は正反対の考え方だった。

私は宇宙に何も期待せず、まずまずのものが

与えられれば、ただただ、ありがたくてならなかった。

アラブ系の格言をこれに続けます。

嵐が来たからには、虹が出ることは決まっている。

…で、哲学に戻ります。

行き詰ってもう耐えられない、そう思うとき

そういうときこそ あきらめずにお待ちなさい

そういうときこそ 潮の変わり目なのです。

うん、そういうことなんだろうな~と思います。

人生を変えるタイミングって、実は幸運期じゃなくて

日常や不幸の境目が多いんだろうと思います。

いい時って、何も考えないものだし。

悪い時って、考え時なんだろうな~

嵐の先の虹に向かって「走り抜ける」時っていう。

自分が雨に濡れるのを恐れて

ただ年をとるだけっていう

ぼんやりした生き方もそれはそれで

いいんだろうとは思います。

運が良ければ、ほっといてもお天気になるでしょうし。

そうなったら確かにラッキー。

やることさえやってれば、大概のことは

そんな感じで収拾していくような気もしますし。

ただ運が悪いと…人生は不満のモトになるかもしれません。

人生が不満のモトになったら「絶望」

人生が感謝のモトになったら「希望」

なのかな~って気がします。

人間の作った「風」に流される世界の人は

ぱぱーっと動きやすいけれど耐久性に欠けてしまう。

どっしりしていれば、流されないけど固まりやすい。

人は一長一短。

イタくない人なんかいないし、スゴイ人もいない。

希望は様々な角度から、多彩な言葉で表現されます。

ですが本当に自分に合う「言葉」は

そんなに多くないのではないかなぁと。

綺麗な幻想を産むためのモノではないんですけど。

むしろ地に足をつけるために必要なモノっていうか…

私は「期待しないが、ありがたくてならない」かなぁ?

いや…自己評価よりもっとたくましくて

「嵐を見て虹を確信する」のが本当かも…(笑)

禁煙が成功して元気に長生きできたら

もう充分なのかなぁとも思っています。

長生きする価値がある世の中にできるかどうかも

半分くらいは自分次第なんでしょうね~🍵

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