• munyu0011 .

彗星


※こちらの記事も、自身のアメーバブログからの転載(改修)です。

写真家さんのSNSでペルセウス座流星群を見たり

古い民話を読んだり、プールに行ったり、甲子園…

でもお盆(甲子園)も終わると

暑くても、空はもう秋なんですよね~

子供用の浅いプールでひたすらに

水の波紋が作り出す網目模様の光の筋を

ず~っと観察していました。

水面のさざ波や煌めき

水中の生物を見る方は多いと思うのですが

みなさん意外と気にしないんですよね

綺麗な浅瀬で小さな波が作る「光の鱗」の

文様なんかは…。

改めてじ~っと観察しておりますと

底にゆらめく網目のスジは

ちゃ~んと虹🌈になっています。

そこに腕や足をのせると

まるで体に光の鱗ができたように見えます。

さらに注意ぶかく見ますと、その光=虹の網目模様には

いつくかの、丸い影の部分☯もあったりします。

占星術におけるサインなどや

真言における梵字もそうですし…

生命の樹に見るチャクラなども

いくつかの名前(印)になっていますが…

それって本当は、こういう自然な現象を

「龍」だの「ウミガメ」だの「陰陽の水の気」に

人間が変形させていく過程で

発生したものなんだろうなぁと思います。

それをどんどん意味づけして(成否はともかく)

形や儀式的にしたものが宗教などであるのなら

信仰と宗教の違いって、やっぱり

人間が中心になっているか

自然が中心になっているか

という差になると思うんですね。

でも、人間が絶滅しても

水中に現れる「光の龍の鱗模様」は

人間か死んでも何も変わらず、あるわけで。

生命の樹って、そう考えますと

自然の理そのものをいくつかに集約して

形象化したものなのだろうと思います。

だから「人の世」とはまったく違う軌道をもつ

冥王星の裏側にあるんでしょうね~。

お盆の時期ということもあるし

偶像崇拝が占術師?にさえ流行している今、こう思います。

日光の御神域、戦場ヶ原の補陀落浄土を

見にいらっしゃい、と。

補陀落浄土とは、生死ももちろん

神も人も鹿もトンボも草紅葉も、蜘蛛も笹も…

すべてが等しく同居する御神域です。

もちろん、お社も銅像もなんにもありません。

そこにあるのは細い木の道だけ…。

動画では伝わらない、あの寂静感…

美しい場所ではなく、淋しくなるほどの自然な場所です。

人間がいなくなっても困らない場所…でもあります。

そういう場所に触れながら育ちますと

どうしても…皆さんとは違った目で

聖典やお社様、銅像などを見ることになります。

もちろん、ホロスコープも世の中も…。

なんで形があると思っているのだろう?と。

形がなければ感じることができないものに

形さえちょっと準備してあげれば

人々は寄ってくる…それはなぜだろう?と。

確かに、それは楽しい。

確かに、それは安心感をくれる。

心をシャキっとさせるキッカケをくれるかもしれない。

だからいいじゃないか、と思うかもしれない。

でもモーネルは、うーん??

そーかなー?少しちがーんじゃないかなー?

と、なんとなく、おもーのです。

ヤバイ宗教ほど、たくさんの「象徴」を多用します。

どれほど強がっていても同じで

弱い方ほど、見えるものに執着しやすくなります。

そして、そこに邪悪や影、闇はつけこんできます。

先日のペルセウス流星群は

まるでアレキサンドライトのように

赤から緑色へと色を変えていく尾をひきながら

飛び去っていきました。

国々や地域によって、それは

凶兆でもあり、吉兆でもあるようです。

私は、ペルセウスの神話を

ちょっとですが…読むことにしました。

そして善悪どちらのフォルダにも入れず

「ふーん、たくさんのナニカを経て、そう変形したのね」

と思いました。

時間や年齢、農耕や氾濫の兆しを示す、星や象。

空や星々にもたくさんの神秘や意味が宿るように

それは水やトンボ、草紅葉にも雪にも、鹿にも鳥にも

故人にも神にも人にも

古からの共通項みたいなものが「理」として

かならずあるんではないかなぁと思います🍵

甲子園が終わりそうになるだけで

もうすぐフィギュアスケートが始まるなぁ

じゃあもうすぐ年末なんだなぁ~

今年も早かったなぁ~、とか考えます。

あと4か月で、人間が決めた1年が終わります。

お山のパワスポにもそろそろ行かなきゃね~

年末はいろいろ忙しいでしょうし。

今年は「海・川・潮・海神族」などとの

関わりが深かったけれど

来年は空になるのか、山になるのか。

空や火かな~、なんとなく。

神話だけではなく、科学や民話なども通して

超自然の神秘と向き合うのはとても楽しいのですが

「生きている人」はどこに属するのだろうか?と。

故人(神など)であれば、風となり

生命の樹でいえば

根や頂上の部分にあたりそうですが…

生きている人間は、生命の樹のどの部分に

なるんでしょうね。

流星は、周回軌道を持つ彗星とは違い、一期一会。

赤や緑色になるスジをひいて。

生きてる人間とか鹿とかトンボって、

流星の方に属するのかなぁと思いながら

のんびりと、夏休みを満喫しております。

そうだ、日光いってこよう。

さまざまな業に触れた後は、なぜだか恋しくなる。

お守り一つ買えもしない、寂静の高原にこそ

私は真の神性を感じるのです。

日光の御神域はとても優しく、淋しいところです。

何を祀っているということでもありません。

神話くらいはありますけれど、すぐそばに社はない…。

そしてわずかならずも感じる、幽玄な空気。

突然の雨の向こうに、歩く鹿の群れの向こうに。

こんな記事を書いている時点で、

私の心も、秋色になってきてるんだなぁ~🍵

残暑は続きますが、もうすぐ大好きな秋

お山様に、ご挨拶に行くのに良い時期になりますね。

お勉強してみたいこともでき

振り返れば、非常に有意義な夏でありました。

良い秋~年末にしたいなぁと🍵

すべては「風」次第ですが。

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